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マディソン突撃レポート!
Madison's report!

03 元女子競輪選手を訪ねて

マディソン(メッセンジャー)
「女子競輪」っていうものが40年以上前に日本で行われていた。 うーん、とてもエキサイティングなイメージ…で、実際に当時の選手にお会いすると、やっぱりそうだった。

女子競輪が始まったのは昭和24年(1949年)。 当初、105名だったプロ女子選手の登録者数は、ピーク時の昭和27年には、669名にふくらんでいた。 安田利津子さん(選手名:松下五月さん)は、そのうちの1人。

安田さんが、鳴尾競輪場(甲子園競輪場)で初めて女競輪を見たのは、昭和24年。 「いいな、かっこいいな!」と思って選手を目指し、翌年、奈良競輪場でトライアウトに挑戦。 バンクも、競輪用スポーツ自転車も初めてだったのに、堂々の一着。 登録番号404番をもらい、プロ競輪選手になった。

15日間の競輪学校での授業を終え、実際に始まったレースは、強烈だった。 「レーストラックに入ったら、友達も何もありませんでしたよ」。 ある日、安田さんの実家に1人の選手仲間が泊まりに来た。 彼女は、翌日のレース中、トラック上で安田さんを腕で押しのけ、もう少しで大ケガをするところだった。 「そりゃ、危なかったですよ。前輪と後輪は木製だから落車したらすぐに折れるし、ヘルメットだって今みたいに丈夫じゃなかったから。 でもね、みんな必死。1回のレースで2~3万円持って帰るんだもの。新卒の平均月給が9,000円くらいの時代にですよ」。安田さんの目が輝く。

日本中を回って、練習して、レース前の3日間は宿舎にカンヅメ、レースが終われば次のレース会場に移動…… そんな毎日が、14年間続いた。 昭和39年の夏、安田さんのところに、東京でのレースを終えた友達がやってきた。 「女子競輪が終わるんやって!」と告げられた。安田さんは冗談だと思い練習を続けていたが、友達の話は嘘ではなかった。 その夜、安田さんは何時間も泣いた。

同年10月31日、当時在籍していた229人の選手が登録抹消。女子競輪はそうやって終わりを迎えた。

ん?ちょっと待って。…本当に終わった?

(本紙掲載 2009年9月29日)


昭和25年、競輪学校の友人とともに(右から3番目が安田利津子さん)。