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ガールズ&バイクス
girls & bikes

03 問題は脚

タクヤ(メッセンジャー&自転車屋)

さて80年代(19世紀の)になると「セーフティー」なる自転車が発明され、名前のとおり安全で乗りやすさから普及していく。 大きな車輪の中心にクランクとペダルが付いた、それまでの「オーディナリー」ではサイクリストの身体は車輪の真上にあった。 車輪を両脚で挟む形になるので当然スカートでは乗れない。 対してセーフティー型は2つの車輪の間に身体がはまり込む形で、チェーンを介して後輪を駆動させる現在の自転車と同じ形。

つまりトップチューブさえどうにかすればスカートでも自転車に乗れる! 実際セーフティーの発明から数年のうちにトップチューブの位置をグッと下げた女性用自転車が販売されている(ママチャリの元祖)。 これで女性もレッツゴーサイクリング!……とはいかない。

スカートといっても当時の正装とされるスカートは、クリノリンやバスルという骨格を腰からぶら下げ その上にスカートを被せる仕組みの巨大な物体だった。外出用には直径が小ぶりなスカートもあったのだが、 それにしても足首丈の超ロングスカート。

どうしてかというと女性の「脚」の存在がタブーだったのだ。 「Leg」なんて単語は口にするのもはばかられ、イスやピアノの脚でさえレースのカバーで隠すのが レディーのたしなみだったというから…アホやね。 まだ数少ない女性サイクリスト達はスカートから覗く足首をブーツで隠すなどしてごまかして走っていた。

連載1回目に書いたアメリア・ブルーマーさんを覚えてますか? 新大陸アメリカで果敢にもアホな「常識」に挑戦し敗北したパンツルック作戦だが、 (飽くまで一作戦。女性参政権を含む権利運動こそが主戦場で、コチラの闘いは実際に女性が参政権を勝ち取る20世紀初頭まで続く) そのスピリットは大西洋を越えビクトリア朝時代のイギリスにも種をまいていた。

また健康や体育というのも当時に「発明」されたコンセプトだ。 それまでは身体を動かすというのは労働や苦役に他ならず、少なくとも上流に属する人がすることではなかった。 特に女性は屋敷の庭を散歩する程度の運動しかしていなかったようだ。 や体操、水泳などが徐々に広まっていった。

これらと関連して、後に「ヴィクトリアン・ドレス・リフォーム」と呼ばれる服装の改革も進められていた。 コルセットやクリノリンに象徴される、身体を拘束し能力を制限するファッションから女性が解き放たれるのは歴史の必然だった。 ヴィクトリアン・ドレス・リフォームの中心的な役割を果たしたのが「レーショナル・ドレス・ソサエティー」 (合理服装協会)という女性の団体である。

次回は彼女たちのファッションと自転車のお話。いよいよ連載は佳境に入る。

(本紙掲載 2009年9月29日)


セーフティー型自転車1889年/自転車博物館サイクルセンター所蔵(大阪府堺市)