back number

ガールズ&バイクス
girls & bikes

07 アニーは世界を走る

タクヤ(メッセンジャー&自転車屋)

19世紀最後の10年間はまるでルネッサンスの様相を呈していた。 医学の進歩から「健康」という概念が広がり、工業と都市の急激な発達は自然の中に身を置きたいという欲求を引き起こし、 また、中産階級の女性にも余暇を生み出した。物事を学び考える時間を手に入れた彼女たちは参政権を要求し始める。 最先端の乗り物だった自転車はこういったムーブメントに呼応している。

自転車に乗ることは、パンツルックを正当化し、自身の肉体性を感じさせ、自然の中で遊ぶ機会を与えた。 それは自由を直感できるスポーツだった。参政権を求めた女性がこの新時代の乗り物をシンボルとしたのも当然だ。 20世紀を迎えるころ、自転車が量産化され安価になり普及していくのと同期するかのように、 欧米各地で女性参政権が次々と獲得されていった。

この時代にアニー・ロンドンデリー・コプチョフスキーというアメリカ女性がいた。 20代前半のラトヴィアからの移民で3児の母、体力的にはとりたてて特別な女性だったわけではない。 2人の富豪の「はたして女性でも自転車で世界一周できるか?」という賭けの対象として、 それまで自転車に乗ったことがなかったアニーが世界一周の旅に出ることに。 1894年、スカートを履き、女性用自転車でボストンの街を出発。 最初は西回りに走るつもりだったらしくNY、クリーヴランドを抜け3か月かけてシカゴまで走った。 このペースでは世界一周は無理と一旦はあきらめるが…。

アニーは、スカートをブルマーパンツに履き替え、ダイヤモンドフレームの男性用自転車に乗り換えた。 本当の意味でのサイクリストの旅が始まったのだ。まるで別人のようにアニーは走った。 シカゴを出発点と設定しなおし、東回りにNYまで戻りそこからヨーロッパへ渡航、 中近東、東南アジア、東アジア、そして日清戦争で騒がしい日本を駆け抜け再び米大陸のSFへ、 大陸を横断しシカゴに戻るまで15か月で世界一周を果たした。彼女の名声は全米にとどろいた。 この冒険が世の女性に与えた勇気はどれほどのものだったか。

その後も徐々に広がったパンツルックが女性の服装として定着したのは、皮肉にも戦争が要因だった。 1914年に始まった第一次世界大戦は国家総力戦で、 に行く男性に代わって工場で働いたり電車や自動車の運転をする必要から、 女性のパンツルックを正式に認めるようになる。 その後ココ・シャネルらがフォーマルウェアとしても女性のパンツを進化させるわけだが、 自転車とは関係なくなるので、歴史のお勉強はここまで。

(本紙掲載 2010年9月10日)


Annie Londonderry
(写真提供:Peter Zheutlin)