レポート

Spring2024

no.61

WEB掲載日

2024年6月10日

2022年大会を密着取材! ツールの熱狂に迫る全8話 Netflixシリーズ『ツール・ド・フランス:栄冠は風の彼方に』

text by 安達茉莉子(作家・文筆家)

自転車にハマったのは2021年秋だった。ツール・ド・フランスの中継を初めて見たのは2022年のこと。あんなに待ち焦がれていたのに悩みがあった。寝てしまうのだ。

レースは数時間に及び、ゴールは日本時間の深夜になることも多い。フランスの山々や教会建築などのきれいな風景に癒され、中盤の駆け引きのあたりでうとうとし、寝落ちてしまい、歓声で起きる。既にドラマが起こっていて、え、あれ、一体何が起こったの?とSNSを開く……。

そんな私のような初心者にも、長年のファンにも朗報がある。Netflixシリーズ『ツール・ド・フランス:栄冠は風の彼方に』が公開された。寝てしまうのは、圧倒的に知識がなかったからだった。

クイックステップというチームは知っていても、彼らが「狼の群れ」と呼ばれていることは知らない。マイヨ・ジョーヌは知っていても、区間優勝が選手やチームにとってどんな意味を持っているか感覚としてわからない。スター選手は知っているけれど、歓声が一際上がるベテラン選手のことはよく知らない。土地勘ならぬ「ツール勘」がないので、意味を見落としてしまうのだ。

全8話からなるこのドキュメンタリーは2022年のツール・ド・フランスをまるごと描ききっている。大会中のドラマをていねいにすくい上げ、直前の作戦会議、レース後のマッサージルーム、過去の失敗や因縁などの舞台裏と背景事情、普段の練習風景など、選手、監督らの膨大な語りと映像によって多角的に、そして多層的に構成される。熱気、不運、栄光と失意、光と影。中継の空撮では決して映らない、一人ひとりにとってのツールが各話45分間に収められているのは圧巻だ。
ドラマばかりで描ききれないが、いくつか取り上げてみる。ひとつはチーム・ユンボ・ビスマ。超級山岳の第11ステージでタデイ・ポガチャルを孤立させ、集団で狩るような戦略がバッチリ決まったのが、映像で見ると際立ってわかる。

意外だったのは、スーパーアシストとして知られるワウト・ファンアールト。今回初めて知ったのだが、アシストは「ドメスティーク(使用人)」と呼ばれる。ファンアールトはアシストを完遂する一方、区間優勝を狙いたいとミーティングで発言したりする。いつもチームのために尽くしている印象があったが、葛藤もあるのだ。

第20ステージ、最後のTTで、区間優勝がマイヨ・ジョーヌを着たヴィンゲゴーか、ファンアールトのどちらかに決まった時、ヴィンゲゴーがあえて減速した。ファンアールトは区間優勝を勝ち取る。彼は泣いていた。君のおかげで勝てた、君にふさわしいと示すような場面だった。
第二に、マウンテンバイク出身の選手、トム・ピッドコック。下りをまるで滑降するようなスピードで下っていく。第12ステージのこのシーンは記憶にあるなと見ていたら、インタビューに切り替わり、「その時小便がしたくなった」と突然話し始める。レース映像に切り替わり、普通にこぎながら何かモゾモゾしている。なんとそのまましていた!

その後、彼は逃げ切って、観客の海をかきわけるように登りきり区間優勝。クイーンステージと称されるアルプ・デュエズを最年少で、しかもツール初参加で優勝。伝説すぎる。

最後は、ヤスパー・フィリプセン。彼は「ヤスパー・ディザスター(大惨事)」と呼ばれている。過去のツールで、ファンアールトが独走して既にゴールしていたのに気づかず、スプリント勝負に競り勝ち、大きなガッツポーズをあげて、皆に「......?」と困惑されたという切ない過去がある。

おっちょこちょいキャラのこの人に、チームの命運が託される。飄々として見えるが、実は恥や責任を抱えている。そんな彼が、重圧を乗り越え、第15ステージで区間優勝を遂げた。彼の回は終わったと思っていたら、最終ステージ、パリ・シャンゼリゼのラストスプリントで彼をまた見ることになる。そのラストは思わず泣いてしまった。
サブタイトルは「苦痛」でも良かったのではないかと思うほど、苦痛という言葉が多く出てくる。超人のように見える選手たちにとっても、「地獄」のようなステージがあり、想像を絶するような苦痛や重圧を皆乗り越えて走っている。

2022年の総合優勝チームはユンボ・ビスマだが、ポガチャルやUAEチームエミレーツの語りはない。シーズン2の制作も決定したそうで、今回とは違う「語り」を聴けるのではないかと楽しみだ。何より、今年の7月が待ちきれない。

*編集部追記
2024年6月11日より、Netflixシリーズ「ツール・ド・フランス:栄冠は風の彼方に」シーズン2の公開が決定!
text by 安達茉莉子
作家、文筆家。大分県日田市出身。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関での勤務、限界集落での生活、留学などさまざまな組織や場所での経験を経て、言葉と絵による作品発表・エッセイ執筆を行う。主な著書に『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)ほか。
mariobooks.com
紙面掲載日:2024年4月19日
※記事の内容は紙面掲載時点の情報です
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