[エッセイ] 弱虫ペダルに出会う、今。〈後編〉 “弱ペダ”でおなじみ、『弱虫ペダル』は自転車競技がテーマの少年漫画。連載開始から15年、もはや王道の自転車マンガだけど、実は読んだことがない人も多い!?今回は『臆病者の自転車生活』が評判の作家・安達茉莉子さんによる、弱ペダ愛あふれるエッセイをお届け。〈前編〉に続く今回の〈後編〉は、強烈な個性をもつ登場人物たちについて。
text & illustration by 安達茉莉子(作家・文筆家)
最大の魅力は、個性豊かな、時にぶっ飛んでいる登場人物たちと彼らが織りなす人間模様だろう。高校自転車競技界の花形である彼らには、異名ともいうべき通り名がある。「石道の蛇」、「頂上の蜘蛛男」、「暴走の肉弾頭」、「箱根の直線鬼」、「呉の闘犬」。筋トレを欠かさず、右大胸筋にアンディ、左大胸筋にフランクと名付け、腹筋を意味する「アブ」を呪文みたいに叫んで加速するライバル校のスプリンター、泉田くんど、強烈な人物が多い。
バトル漫画のような迫力のレース描写に夢中になり、アブ!アブ!アブ!と叫びながら自分もこいでみるのは紛れもなく“弱ペダ”ならではの楽しみだ。だけど、私が惹かれたのは、自転車を通じて彼らがお互いを理解していくていねいな描写、そして、彼らが内に秘めたモノローグの繊細さと美しさだった。
言葉を超えたところにあるもの
「やっぱオレは 自転車でしか会話できねェ」(単行本5巻Ride.36)
語られない言葉と、語られる言葉
「軋む 筋肉が/限界を超えた筋肉は鉄のように硬くなり軋むんだ/何度か経験があるこうなるともう/痛みは感じない 音が消え臭いが消え/体の感覚もなくなって/意志だけが路面をすごい速度で走ってるような/肉体は1mmの誤差もなくつき従い/走ろうというイメージを100%具現化する/完璧に研ぎ澄まされた一本の槍になれる/これは速いんだ/けどそれはもう/終焉おわりが近いことと同義なんだ」(単行本22巻Ride.183)
ゴール前の鍵となる局面で、総北高校チームを決定的に引き離すために、文字通り全力を出し切る泉田くんのモノローグ。レースの熱があふれて震えるような緊迫した描写と、この静かな台詞の対比。泉田くんは所属する箱根学園の先輩たちを心から尊敬していて、中でも同じスプリンターの先輩である新開くんに心服している。
「照れくさいですけどボクはあの一言で変われた気がしてるんです/出し切りましたよ.../触れられた背中は今も温かい/悔いはない―!!心から言います/ボクはあなたと走れて今/とても誇らしい!!」(単行本22巻Ride.183)
彼はこの内なる声を、伝えたりしない。言葉にできたのは、チームの背中に向かって叫ぶ「総合優勝獲ってください!!箱根学園!!」だけだ。弱虫ペダルのセリフには、長く短いレースの中で自分を限界まで削って挑んだからこそ出てくる言葉が書き出される。そこには魂が宿っている。語られない言葉と、語られる言葉、そのどちらも描かれるから、胸を打つ。何気なくつぶやく一言にも、スポーツと青春の美しさが詰まっている。
私が自転車に乗り始めた時、無理だと思っていた壁をいくつも超えられ、自分でも知らなかった力に気づけたのは、走る彼らの姿がいつも前にあったからだと思う。出会えたことに心から感謝している。アブReady! GO!!
作家、文筆家。大分県日田市出身。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関での勤務、限界集落での生活、留学などさまざまな組織や場所での経験を経て、言葉と絵による作品発表・エッセイ執筆を行う。主な著書に『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)ほか。
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